商品詳細
とある旧家の蔵出し品です。
日露戦争後の1910年から1945年まで満州、朝鮮は日本統治下にあり、本品は1920年代のものと思われます。
1.大同橋の壮観
大同江は現在の北朝鮮の北西部を流れ、下流部に平壌の街があるようです。遡れば、豊臣秀吉命による朝鮮出兵で堺商人の次男 小西行長さんも水軍を率いてこのあたりに来ていたようです。平壌の人口増、対岸の船橋里の工業化により大同江の行き来(4カ所の渡船のみ)が間に合わなくなり、朝鮮総督府によって1923年に完成、人、自動車、単線軌道、5万人分の水道管が添架されていたようです。
1950年の朝鮮戦争で中国軍に攻撃され、多数の民間人が破壊された橋を渡り逃げ惑う姿の写真が1951年のピューリツァー賞になっています。(Flight of Refugees Across Wrecked Bridge in Korea,)
2.乙蜜台より俯瞰せる牡丹台
乙蜜台は高句麗(紀元前1世紀~668年)時代の乙密将軍がこの地を守ったことに由来、以降軍事指揮台となり、日清戦争の激戦地でもありました。本品では高句麗時代創建の永明寺を見ることが出来ますが、朝鮮戦争で焼失、現在は石塔のみのようですが、春に見る景色が美しい景勝地だそうです。
3.平壌の象徴の如き大同門
大同門は6世紀高句麗時代の城内の東門だったようですが、現在のものは1635年李氏朝鮮時代に再建された伝統的な朝鮮式城門だそうです。
4.由緒ある練光亭
練光亭は高麗時代の1111年に山水亭として建てられ、現在のものは1670年李氏朝鮮時代に建てられたようです。高麗時代の詩人 金黄元さんがここから平壌の美しさを吟じようとしましたが、あまりにも美しすぎて絶句、筆を折ったと言われているようです。又、1.に出てくる小西さんは1590年代にここで明の使節団と会見したようです。
5.平壌第一繁華なる通大和町
日本の植民地政策は統治した土地の都市基盤整備を行うことが特徴で、漢城(京城=ソウル)と同じく、平壌でも都市整備を進め、大和町は日本人街として繁栄していたようです。
・経年によるヤケ、シミあり
・1.、3.縁まわりの虫食いあり
・2.使用済です
・5.右上部がカット(タテ2xヨコ4.3cm)されてます
秀吉さん時代から何かと縁のある平壌が…
商品の情報
カテゴリー: | ホビー・楽器・アート>>>美術品・アンティーク・コレクション>>>コレクション |
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商品の状態: | 全体的に状態が悪い |
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